大判例

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東京高等裁判所 昭和39年(ラ)201号 決定 1964年5月30日

抗告人 三富弘(仮名)

相手方  小林幸子(仮名)

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

抗告人は「原決定はこれを取り消し、本件を東京家庭裁判所に差し戻す」との裁判を求め、その理由として別紙抗告理由書記載のとおり主張した。

本件記録に綴られている家庭裁判所調査官小林能子作成の相手方小林幸子、事件本人三富やす、参考人小林哲也に対する調査報告書(記録第四二丁)及び家事審判官の相手方小林幸子、事件本人三富福子に対する各審問調書(記録第一〇丁及び同第三八丁)の各記載を綜合すると、抗告人は現在大分市に居住しているのに対し、事件本人である未成年者等は八年近く東京に居住し、それぞれ通学して、ほぼ安定した生活を営んでおり、抗告人の親権者としての活動は事実上不可能ないし著しく困難な状態に在ること、未成年者らはここ数年来いずれも相手方の氏である「小林」を使用し、相手方の夫小林哲也を父として慕い、今後抗告人と生活を共にする意思は全くなく、抗告人が親権者であることはなにかと生活に不便であるから親権者を相手方に変更することを希望していること及び相手方及びその夫は学歴収入その他の生活環境の点において、また未成年者らに対する愛情の点において決して抗告人に劣るものでないこと等の諸事実を十分に認めることができる。親権は未成年者の利益のために行使さるべきものであり、上記認定の諸般の事情のもとにおいては、未成年者の意思を尊重し、その生活に不便が生じないように親権者を定めることが、未成年者の福祉にそうものと考えられるから、本件においては未成年者である福子及びやすの親権者を抗告人から相手方に変更するのを相当とし、右と同旨の原審判は正当というべきである。抗告人は原審判は相手方がなした虚偽作為の申立をそのまま誤信してなしたものであると主張するが、相手方のなした本件申立の実情が虚偽作為のものであると認むべき証拠は本件記録上これを見出すことができないから、抗告人の右主張はこれを採用しえない。

よつて、本件抗告は理由がないから、これを棄却することとし抗告費用は抗告人の負担として主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 村松俊夫 裁判官 杉山孝 裁判官 菅本宣太郎)

別紙

抗告理由書

第一点 原審判は、その「理由」とした「一、申立の趣旨および実情」のうちに、被抗告人(原審申立人)がなした虚偽・作為の申立を、すべてそのまま事実を示すもの(証拠資料)なりと誤信しており、この誤信は審判に影響を及ぼしていること明らかであるから、原審判の取消しを求める。

すなわち、

一、原審判の「理由」の一に記されたうちの(1)に「被抗告人(原審申立人)と抗告人(原審相手方)とは、昭和三一年九月一〇日協議離婚した」とあり、(2)のうち「被抗告人(原審申立人)は昭和三三年九月二二日小林哲也と結婚した」とあり、(5)のうち「被抗告人(原審申立人)の夫哲也は………昭和三一年暮まで大分市で小学校教員を勤め、その後上京し……」とあります。この三つの事実のうち最後の(5)の申立は事実に反する全くの虚偽であります。

右の(5)の事項は、ただ単にその事実だけの虚偽にとどまるものではなく抗告人と被抗告人との離婚の事情ならびにその後の実情、すなわち本件の全体について、原審判をして全く誤つた判断に導くに至らしめた重要な事実の虚偽となるものであります。従つて、当時の実情を記すことにします。

小林哲也は、大分大学において抗告人の教え子であり、卒業後、津久見市に奉職したものであります。当時、抗告人は被抗告人と共に家庭生活を営んでいました。小林哲也のいわゆる婚約者が臼杵市に住んでいたために、抗告人は哲也を臼杵市に奉職させてやりたいと努力しましたが欠員がなく、その隣町の津久見市に奉職することとなりました。

(臼杵は汽事で大分から南に一時間のとにろにあり、津久見はその南の隣町であります)

それが抗告人と被抗告人との家庭生活に思わぬ波風を招来する結果となり、小林哲也は速見郡湯布院町に転勤することとなつたのでした。

しかして昭和三一年八月末には、すでに上京中の被抗告人と小林哲也とは東京において同棲しているのであります。

抗告人が二人の同棲の事実を知つてうけたショックは大きく、このことが抗告人をして最終的に被抗告人との離婚を決心させるに至りました。また被抗告人の父(小山義一)はそのショックによつて脳溢血で倒れ、急逝したのであります。

しかして東京大学での卒業論文以来『家族制度史』の研究をつづけてきた抗告人にとつて、右のような被抗告人と小林哲也との同棲の事実による離婚を、民事の訴えによつて解決することは、未成年者(福子、やす)の将来に与える影響の大きいことを考えて悩み、協議離婚の形式をとることにしました。離婚の保証人には、婚姻のときにも保証人となつていただいた吉田邦男氏(中津市在住)にお願いしました。

未成年者が幼少であり、二人を別々に引き離すことを、情において忍びなかつた抗告人は、二人を一緒に育てることとし、まずしばらく母親(被抗告人)が育てることに譲歩しました。そして長女福子が中学を卒業した年に、父親(抗告人)が二人一緒に引きとつて養育するということで「子供の養育についての合意」が成立しました。その後、抗告人が未成年者をひきとりたい旨を被抗告人に申入れたのに拘わらず、被抗告人はこれを拒絶しつづけ、却つて親権の変更を申立てるに至つた次第です。

右に記しましたように、抗告人と被抗告人との離婚(昭和三一年九月)が昭和三一年八月末にはすでに被抗告人と小林哲也と東京で同棲していたという事実にもとづくものであつて、「三一年暮まで哲也は大分市で奉職し、その後上京し、」……「昭和三三年九月に被抗告人と小林哲也と婚姻した」のではありません。三一年八月にはすでに被抗告人と小林哲也とは上京して同棲しており、三三年九月に至つて婚姻の「届け出」がなされたことを示すだけのものであります。

審判書の「理由」の一の(5)に記された被抗告人の申立はただ単にそれだけの事実における虚偽にとどまるのではなく、右に述べたごとき当時の特殊な実情を隠蔽し、抗告人と被抗告人および小林哲也との関係について、さらにその後の状況について、原審判に見られるごときの、全く誤まれる判断を審判官に抱かしめるに至つているのであつて、被抗告人の申立はまことに巧妙な虚偽の申立と言わざるを得ません。

二、イ 審判書の「理由」の「一の(6)」には、昭和三八年九月に「被抗告人(原審申立人)の依頼をうけた同人の姉の夫野田信が、抗告人(原審相手方)と相談すべく会見を申入れたが、抗告人(原審相手方)においてこれを拒否したため、被抗告人(原審申立人)は原審の申立に及んだ」とあります。右による限り、被抗告人は条理をつくしたのに拘わらず、抗告人においてこれを拒否したかの如き錯覚をおこさせるような申立をなしています。しかし被抗告人は、一部の事実のみを伝えていて、当時の実情を正しく判断し得るような、すべての事実を正しく伝えてはいないのであります。

当時の状況を記します。

未成年者からの手紙に対して、抗告人はこのような重六な問題は母親たる被抗告人から父たる抗告人に対して誠意ある申し出がなされるべきであることを、くりかえし伝えたのであります。しかるに被抗告人からは、一度の申し出も抗告人に伝えられませんでした。しかして八月末(昭和三八年)に未成年者たる福子とやすとの二人が、東京からくだつて、約一週間ほど津久見に泊つていたようです。(「ようです、」というのは)その後福子とやすとは東京に帰り、その後になつて野田信から抗告人に対して会見の申入れが(手紙によつて)なされました。このことは抗告人にとつてショックでした。しかしそれはそれとして、抗告人は野田信に対して、「(1)右のようなことは親子の愛情を無視しているものであること、(2)離婚についての保証人(吉田邦男氏)がすぐ近くに在住すること、(3)被抗告人から抗告人に対して責任ある申し出が一度もなされていない」のであつて、従つて唐突な野田信氏からの申し入れは「スヂが違う」旨の返答をしたのであります。

原審における「理由書」に記載されたごとき、被抗告人の申立は、その間の状況を正しく判断するための事実をすべて正しく申立てておらず、自己に有利な判断を審判官に与えるための作為だと言えましよう。

ここに抗告人は「アクマでも聖書の一部を利用することができる」との西洋の諺を思い出すのであります。

さきの一に記したごとき被抗告人の巧妙な虚偽の申立、またここに記したごとき作為的な申立は、原審判において本件の実情を全く誤信し、また正しい判断を誤まらしめるに至つたことが、明らかに認められるのであります。

ロ 原審判の「理由」の「一の(6)」にはまた「未成年者らは小林哲也を育ての親としてしたい、同人においても親権者変更については未成年者の意思を尊重し、希望をかなえてやりたいと述べている、」として被抗告人の夫たる小林哲也の好意を述べている。しかしすでに上述し来つたごとく被抗告人は原審における申立において重要な虚偽の申立てまた作為的な申立てをなしているのであつて、ここに記された抽象的な言辞には何らその真意を明らかにしないまま、審判における心情を良好ならしめようと努力しているにすぎない。

すなわち、これまで具体的な事実(それには上述のごとく虚偽や作為がなされているが)を申立てたことからすれば哲也が未成年者の希望をかなえてやりたいというのは、果していかなる具体的な約束であるかを明らかにすべきところである。具体的というのは、あるいはただ単に被抗告人が親権者となることに同意し、未成年者らが「小林」姓となることを認めるというのであるのか、あるいはさらに進んで未成年者らと「養子縁組」をなして新らしい親子関係を創造するというのか、などの具体的な約束を明らかにしていないのである。これまで虚偽の事実を申立ててきた被抗告人は、さらにこのような真意を明らかにし得ない抽象的な言辞によつて、審判に対する心情を有利に導びく努力をしているにすぎないのである。具体的な約束は何ら申述べられていないのである。

(審判書に記されていない他の証拠(事実調査)について、抗告人はうかがい知ることが出来ませんが、このことは抗告人の不安と不満とを強めるのであります)

以上のごとく、被抗告人はその「申立ての趣旨および実情」のうちに重大なる虚偽・作為的な申立をし、さらに真意を明らかにし得ないアイマイな抽象的な申立てなどによつて、審判を有利ならしめんとしています。審判書はこれらの虚偽の申立て、作為的な申述をすべて正しい事実なりと誤信し、それにもとづいて抽象的アイマイな申立をも好意的に判断するに至つています。

このような事実の誤信が、その判断を誤まるに至ることは必然であり、そのような判断は、審判に重要な影響を与えていること明らかであるから、原審判の取り消しを求めたい。

第二点 原審判には、その「理由」のうちに重要な事実が見落されており(調査の不備)、そのことが審判に影響を及ぼしていること明らかであるから原審判の取消しを求めたい。

原審判の「理由」のうちに見落された重要な事実というのは主として未成年者の養育に関する実情である。すなわち、

一、未成年者の養育のことに関して、抗告人と被抗告人とは離婚の際約束(合意)として、(1)子供たち二人をひきはなすことをせず、二人を一諸に育てる、(2)福子が中学を卒業するまで母親たる被抗告人が育て、それ以後(現在より三年前)父たる抗告人がひきとつて養育する旨の合意が成立している。その際なお保証人(吉田邦男氏)から(3)子供の養育費は、相互に請求しない、との項目を加える意見が出され、抗告人と被抗告人とはこれに合意しました。

昭和三一年八月、被抗告人が小林哲也とすでに同棲している事実を知つて、抗告人は被抗告人との離婚を決意し、被抗告人の父親はそのショックで急逝したのでありますが、抗告人としては子供たちの将来にキズをつけないようにとの配慮から協議離婚とし、さらに子供の養育についても譲歩して右のごとき合意が成立したのであります。

なお被告人の父小山義一が急逝したため、被抗告人の兄小山忠一氏から、抗告人に対して家屋の問題もふくめて慰藉料五〇万円を支払う旨の申出がありました、しかし抗告人としては愛情を金銭に代える考えはなく、かつ被抗告人の兄の忠一氏を信じて、その金額を子供たちの将来の生活、結婚の費用に資すべきことを相談し、忠一氏もこれを諒承されました。子供には何らツミのないのに拘わらずまことに酷しい現実の運命にぶつかつた子供たちへの思いやりとして、抗告人は被抗告人の兄を信じ、その対策を考えたのでした。

従つて、その後、右の金額のうちの少なからざる部分が被抗告人の兄忠一から子供の養育扶助として被抗告人に送金されているわけです。被抗告人はこの事実を極力かくし、兄の援助によるものとし、子供たちには父(抗告人)から何ら送金なきことを信じこませようと努めているようです。しかしかかる送金があつたゆえにこそ、被抗告人において未成年者らを今日までどうにか養育してこられたのであつて、決して被抗告人およびその夫哲也が、自分たちの努力のみで子供たちを養育して来たわけではありません。

原審判では、右の事実には何ら言及していないのでありますが、本件に関するこのような特殊な実情にうといことが原審において被抗告人が自らの力で子供たちを養育し来つたかのような錯覚をし、誤つた判断に導かれたものと思われます。

二、抗告人は、被抗告人との「子供の養育についての合意」によつて、長女福子が中学を卒業した時(現在より三年前)から、福子とやすとの二人を父たる抗告人においてひきとり養育したい旨を申し入れました。被抗告人はこれを拒否して来ています。抗告人は子供たちをひきとり、手許において養育することについて、被抗告人が離婚当時の約束を守るように、そしてこれが円満な解決を望んでいるのでありますが、被抗告人はこれを悪用して却つて今日に至つて審判の申立てを行なつたものであります。

抗告人は未成年者をひきとつて育てる意思を有しており、かつこれが円満な実現を望んできたのであります。しかるに原審判において、被抗告人は実に巧妙な虚偽また作為的な申立てをなしており(第一点)、また特殊な実情については何ら言及せざるため(第二点)、原審判においては本件の特殊な実情が明かにされず、かつ事実の虚偽を正しい事実と誤信して判断するに至つたものと思われます。

このような事情が審判に影響を及ぼしていること明らかであるから、原審判の取消しを求めない。

第三点 原審判がその「理由」とした「二、当裁判所の判断」は、被抗告人の虚偽・作為的な申立てをすべてそのまま事実なりと誤信し(第一点)、また重要なる事実を見落しており(第二点)、それによつて本件の特殊な実情を一般論をもつてわりきつて解釈せんとした思考の誤りをおかしている。このことが審判に重要なる影響を及ぼしていることは明らかであるから、原審判の取消しを求める。

一、現在、未成年者らが被抗告人と同居中なることが、審判の「理由」の「二、当裁判所の判断」の基調として流れていることは明らかである。しかしこれは一般論である。

本件の場合は、すでに第一点、第二点において記したごとく、抗告人と被抗告人との「子供の養育についての合意」が存しており、抗告人は、その合意に基づいて、三年以前から子供たちをひきとつて育てたい旨を被抗告人に申し伝えている。そしてその円満なる実現を望みつづけているのである。被抗告人はその約束(合意)を守らずに拒絶してきているのであつて、救済されるべきは抗告人の側にあるのである。

しかるに「当裁判所の判断」に記されているところは、その判断をくだすもととなつた証拠資料(「申立の趣旨および実情」)において、被抗告人(原審申立人)の虚偽・作為的な申立をすべて事実なりと誤信し(第一点)、さらに本件の特殊な実情の調査において不備を存し(第二点)、一般論をもつて本件をわりきろうとする判断がなされているのである。

二、さらに原審における「当裁判所の判断」には、被抗告人の愛情を尊重し、また未成年者の意思を自由な意思能力をもつものとして尊重する、旨を記されている。しかるに、被抗告人の原審における申立ては虚偽と作為とに充ちており、それが「当裁判所の判断」を誤まらしめていることは既に明らかである。

また未成年者は、事実に対する正確な自主的な判断をなし得ず、将来に対しても十分な配慮をなし得ないが故にこそこれを未成年者として保護されるのである。加うるに家庭裁判所の判断を誤らしめる如き申立人の言動が、未成年者の正しい判断を狂わせることは十分に容易に考えられる。未成年者の幸福とは何であるのか。それを正しく見守るのは親権者でなければならない。

原審判における「当裁判所の判断」は、被抗告人の虚偽・作為的な申立を事実なりと誤信することによつて、正しい実情の把握に重要な誤りをおかし、一般論的な先入観に基づいて、本件の特殊な状況をわりきるという誤りをなしているのである。これが審判に重要な影響を及ぼしたことは明らかであります。

原審の「理由書」に述べられた数々の誤信と、それに基づく誤つた判断による審判は、抗告人にとつて、かつて日本陸軍が中国・満洲を実力をもつて占領しながら、これをもつて「聖戦なり」と称して、国民の正しい言論と批判とが、力をもつて封殺された苦い経験を思い出させます。

原審における調査の、事実に対する誤信と、調査の不十分と、それに基づく判断の誤りとが、審判に及ぼした影響はすでに明らかであり、原審判の取り消しを求めたい。

参考

原審(東京家裁 昭三八(家)九八六一・九八六二号 昭三九・三・二四審判 認容)

申立人 小林幸子(仮名)

相手方  三富弘(仮名)

未成年者 三富福子(仮名) 外一名

主文

未成年者三富福子および同三富やすの親権者をいずれも相手方から申立人に変更する。

理由

一、申立の趣旨および実情

申立人は主文同旨の審判を求めた。

よつて考えるに、相手方および申立外小林哲也をそれぞれ筆頭者とする各戸籍謄本、申立人および未成年者三富福子に対する各審問の結果、当庁調査官小林能子の調査報告書、大分家庭裁判所調査官松木清之の調査報告書およびその他本件記録添付の証拠資料を総合すれば次の事実が認められる。

(1) 申立人と相手方は昭和二十年一月二六日婚姻し、二人の間に未成年者福子および同やすの二子を儲けたが、昭和三一年九月十日協議離婚した。その際、申立人と相手方との間に「未成年者福子および同やすの親権者をいずれも相手方と定める。未成年者福子および同やすを一緒に育てることにし、昭和三五年三月までは母である申立人において、同月以降は父である相手方においてそれぞれ監護養育する。」旨の合意が成立した。

(2) 申立人は、離婚後上記合意に基づき未成年者らを養育していたが(申立人は昭和三三年九月二二日小林哲也と婚姻した)、経済生活が苦しかつたことなどのため昭和三三年九月ごろから約一年間未成年者福子は相手方のもとにいたり同人と生活をともにした(相手方は昭和三三年一月二二日中山京子と婚姻した)。しかし、未成年者福子は相手方が福子を全然叱らず同人の意のままにさせることに不満であつたのと、相手方の妻京子との折合がしつくりしなかつたことなどから昭和三四年九月ごろ再び申立人のもとへ帰り、以後今日に至るまで申立人と生活をともにしてきた(なお未成年者やすは申立人と相手方との離婚後今日に至るまで申立人と生活をともにしてきた)。

(3) 未成年者福子は現在○○女子学園高等学校三年に在学中であるが、同学校へはもとより昭和三九年四月より勤務予定の○○○社へも小林福子として届出てあり、今後相手方と生活をともにする意思はないとのべ、同人の親権者を相手方から申立人に変更することを強く希望している。未成年者やすは現在○○○○○中学校二年に在学中であるが、小学校四年生のころから同人の氏として小林を使用してきたものであり、今後相手方と生活をともにする気持はなく、同人の親権者を相手方から申立人に変更することに異存はないとのべている。

(4) 相手方(大正七年三月三〇日生)は○○大学学芸学部助教授として月平均手取収入金五万九、〇〇〇円強を得、表記の住所に妻京子(大正一四年三月一九日生)と二人で生活している。そして相手方は、相手方自らにおいて未成年者らが成年に達するまで親権者としての責任をはたしたいこと、離婚の際に申立人との間において昭和三五年三月以降は相手方が未成年者らを監護養育するとの合意が成立していたことおよび未成年者らの親権者の変更につき申立人自身から相手方に対し同人の納得のいくような詳細かつ誠意ある申出がなされていないことなどを理由に未成年者らの親権者を相手方から申立人へ変更することに反対している。

(5) 申立人(大正一一年一一月一五日生)は○○○○○団地内のテラスハウス(一階は玄関、四・五畳、台所、浴室などからなり二階が六畳および四畳よりなる)に夫哲也(昭和五年七月五日生)および未成年者両名と四人で生活している(もつとも申立人の夫哲也は後記のとおり仕事の関係上一週間に二日ないし三日帰宅する程度である)。申立人の夫哲也は○○大学学芸学部を卒業後昭和三一年暮まで大分市で小学校教員を勤め、その後上京し○○建築事務所勤務を経て昭和三五年二月から○○運輸株式会社へ入社し、現在同社小田原営業所の業務課長として月平均手取収入金三万一、〇〇〇円強を得、申立人は○○女子大学国文科を卒業し、現在○○○○化粧品株式会社へ勤務し月平均手取収入約金四万〇、〇〇〇円を得ている。

なお、未成年者らは申立人の夫哲也を育ての父としてしたい、同人においても未成年者らの親権者の変更については未成年者らの意思を尊重し同人らの希望をかなえてやりたいとのべている。

(6) 未成年者らの親権者の変更については、未成年者福子から相手方に対し、昭和三八年六月ごろより数度手紙にて親権者を変更して欲しい旨依頼し、同年九月には申立人の依頼を受けた同人の姉の夫野田信が相手方と相談すべく会見を申入れたが相手方においてこれを拒否したため、申立人は本申立に及んだものである。

二、当裁判所の判断

上記認定の事実によれば、相手方はその社会的地位、収入その他の生活環境の点からみてもまた父親としての愛情の点からみても、未成年者らの親権者としての資格にほとんど欠けるところがないものといわなければならない。申立人と相手方の離婚の際における未成年者らの養育に関する合意や相手方の申立人に対する個人的な感情に想いをいたせば、相手方が未成年者らの親権者の変更に同意しないのもまた無理からぬものといえよう。しかしながら、ただ一つ、相手方が現在大分県に居住しているのに対し、未成年者らは八年近く東京都に居住し、それぞれほぼ安定した生活を営んでいることは疑うことのできない事実であり、相手方の親権者としての活動は事実上不可能ないしは著しく困難な状態にあるものといわなければならない。未成年者らはここ数年来いずれもその氏として申立人の氏である「小林」を使用し、申立人の夫を育ての父としてしたい、今後相手方のもとへ行き同人と生活をともにする意思はなく、相手方が親権者であることは何かと生活に不便であるから親権者を申立人へ変更することを希望しているというのである。そして、未成年者らのこれらの意思ないし希望は、同人らが意思能力を有しているので同人らの自由な意思ないし希望として十分に尊重しなければならないものである。なお、申立人およびその夫は、学歴、収入その他の生活環境の点において、また未成年者らに対する愛情の点において、決して相手方に劣るものとも認められない。

このように、生活環境、扶養能力あるいは親としての愛情などにおいていずれが優るとも劣るともいえないような場合には、意思能力ある未成年者の意思を尊重し、その生活に不便が生じないように親権者を定めることが未成年者の福祉にとつて好ましいものであり、子のための親権の制度に合致するものである。

してみれば、本件においては、未成年者らの希望を入れ、同人らの親権者を、その親権者としての活動が著しく困難な状態にある相手方から、現に未成年者らと同居して同人らを養育している申立人に変更することが相当である。

よつて、主文のとおり審判する。

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